その時歴史は動いた

今週は水10の特番があったため、トリビアの泉は無し。
その代わりにこっちの番組を見ました。60年目の終戦記念日も近いので今週は戦艦大和の最期についての特集でした。戦艦大和はよく悲劇の戦艦だとか大艦巨砲主義の弊害だといわれているけど、大和にも功罪があるのでその辺を書いてみる。
まず罪の部分であるが先ほどの時代に取り残された大艦巨砲主義が考えられる。航空機が戦争の雌雄を決するということが真珠湾攻撃で証明されたにもかかわらず戦艦にこだわり続けてきた。ただし同時の日本のエネルギー事情や工業生産力を考えてみると戦闘機を量産する計画を立てられても実行は不可能に近いと思う。飛行機を飛ばす燃料が不足しているというわけ。
次に功の部分を見てみると、大和の高い造船技術が戦後の造船界に継承されたことだと思う。大和は実は巨砲を搭載するもののできるだけ小さく、軽くなるように作られていた。インターネットももともと軍事用の通信技術だったわけで。
アジア太平洋戦争でもっとも日本が弱かった部分は大艦巨砲主義にこだわっていたことではなくて、情報戦に負け続けていたことであると思う。日中戦争にしても真珠湾攻撃にしてもミッドウェー海戦にしても対日工作や暗号の解読に敗れていたと考えられる。つまりは情報を先んじて得ることが大切であるというわけだ。そのためにはあらゆる情報にアンテナを張れることが必要となるであろう。